2009.10.04.
大学の用事で東京です。
時間もあまりなく・・・天気もそれほど・・・
宿(岐阜から10/3に東京に入りました)から会場まで・・・坂が一杯。
【稲荷坂とは東京都港区赤坂七丁目に存在する坂道。 「新坂」の坂下から南方に150メートルの距離の場所に存在する。坂道は蛇行しており勾配は急である。坂下の北側に円融院が存在し、その境内に稲荷への入り口が存在したため、この名がついた。
江戸時代、場内を掃除する役人の住居が存在したため「掃除坂」という別名がある。坂下に港区による道標が建てられている(1991年10月設置)。】
です。
で,記載のあった新坂です。
【新坂(しんざか、しんさか)とは東京都港区赤坂7丁目と8丁目の境界に存在する南から北に登る坂道の名称である。名の通り「新しい坂」を意味する。道標によれば、本坂が開かれたのは1699(元禄十二年)である。】
ついで・・・薬研坂です。。
【青山通りから赤坂のTBSの方に向かってダイナミックに一旦下ってから再び上る坂。そのアップダウンの形が漢方薬を粉末にしたり、挽いたりするために使う薬研に似ていることから薬研坂と名がついた。】
とのことです。
こんなところもあって・・・
で。 ですね。
【江戸時代に坂の北側には尾張徳川家(現在は上智大学)、南側に紀州徳川家(現在は清水谷公園やグランドプリンスホテル赤坂)、彦根藩井伊家(現在はホテルニューオータニ)の屋敷があったことから、一字ずつ取って紀尾井坂と呼ばれるようになる。周辺の紀尾井町という町名もこの坂に由来する。また、これらの大名の城下町だった和歌山・名古屋・彦根の3都市をまとめて「紀尾井」と呼ぶこともある。】
なのですよ!!
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坂は坂として・・・・・・なんて処もありました。
ここは・・・
【高橋 是清(愛称だるまさん、1854年9月19日(嘉永7年閏7月27日) - 1936年(昭和11年)2月26日)は、日本の政治家。立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣(在任:
1921年(大正10年)11月13日 - 1922年(大正11年)6月12日)。大勲位子爵。幼名は和喜次(わきじ)。総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高い。】
翁の記念公園のところでした。
横は大通りだし・・・隣は加奈陀大使館です。
あぁ,一番奥にいらっしゃいました。
ちょっとした憩いって感じです。時々木漏れ日が,気持ちを爽やかにしてくれました。
旧高橋邸の跡だそうです,ここは。
さて,爽やかになったところで(といいつつ,実は前の日から喉痛と倦怠感著明だったのが,この日は,発熱まで・・・喉は少し治まったけど・・・ちと,つらい)会場に向かいましょう。
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